私の芸術観と表現のための思考形式(2005年 レクチャー資料)

その時々でテレビニュースや報道番組から流れてくる 内容、情報といったものが、作品を作る上で発送の原点となっている。

日頃、気になったニュースや情報が自分の作りたい形と融合されてゆく感覚なのです。
作りたい形というものは自分の趣向というものが年月をかけてできあがっています。
それは皆さんにも当然あることと思います。

作るということは自分が好きなものや普段、考えていること、自分を取り巻く環境、色々な情報を吸収して分解して、自分が伝えたいことということを中心(土台、骨格)として再構成し直してゆくことの様に思います。

タイトルがどのように決められるか?これは作りながらタイトルを決めるということが
殆どです。一つの作品を作るのに2000年度ぐらいまでの作品に関していえば、平均して2~4ヶ月間かかってます。単純に制作時間だけを計算すれば、2~3週間ぐらいかもしれません。僕の場合、実際、手を動かして作っている時間の中で自分の考えていることを作品を形作る過程と同様に整理してゆくのです。

人それぞれ作り方は違います。素材、空間、時間、スケールなどのことですが。これら複数の要素を選択することで、自分にしか作れないものを築いていくわけです。当然のことですが、これらを意識化してゆくことは大切なことであると考えます。

芸術論といえば難しいですが、芸術観といえばそれぞれが考えたことがあると思います。
芸術という言葉をどう定義するかで作品制作に関して自分なりの方向性が生まれてきます。僕は芸術とは心に響く感じるものだと思います。しかもこれらは非日常的なものに見えてしまいますが、日常からしか生まれないと思ってます。ですから日常を呼吸してご飯を食べてと同列に作ることがなければいけないと思ってます。できる限り、生きることがイコールで作ることになるように生活を習慣づけていくことが大切だと思ってます。
人間は習慣性の動物なんですからどう習慣づけるかというのは自分の思想を形成するのにものすごく影響していると思います。

僕の作品として特徴的なものとして、色,タイトル、人間との異種配合(ハイブリット)形態、デフォルメ、性器といったものがあげられます。これらの単語で殆どの作品が説明できます。
これはそれぞれを象徴的なものとして形作っているからです。それぞれの形にほぼ一定のメッセージがあり、僕の思想的なものを形に意味を含ませることで代弁してもらっています。




連想ゲームや言葉遊びのように作品が出来上がってますので、象徴的な部分を解剖してゆくとよくわかります。単純なイメージ(形に含まれるイメージ)の構成になっていることがわかります。

例  色に関してのイメージ(これは個人差や国、文化が育んだものなので万人が同じよ              うな印象はもたない))

   赤  情熱、血、革命、共産党、怒り、革命、炎、

   青  冷静、海、空、爽快、水、知性、地球→生命

   黄  光、ひまわり→太陽、シミ、皇帝、カレー、

   
異種配合に関してのイメージ(常にこの世の中で相関関係にあるもの)

人間と自然物の場合  平和、共生感、感性、自然崇拝、環境問題、アンチ消費社会、アンチ合理主義、心、宇宙観、神秘性、浄化、魂

人間と人工物の場合  戦争、経済至上主義、環境汚染、消費社会、合理主義、無力感、利便性、パワー、暴力、 


性器に関してのイメージ

全般的な欲求の象徴、先祖から子や孫への継承、繁栄
男女の相関関係

男女の相関関係についてのイメージの展開

男              女
権力 ←  ・力の均衡  → 家族愛
戦争    ・相対するもの   平和
銃器     ・宇宙観     花
能動的    ・恋愛     受動的
攻撃性           守備意識

   


デフォルメすることの効果

日常の固定概念の打破、意外性、視点の変化、強調する
               ことによるポイントの明確化、


制作をするにあたって重要となること

・基本となる軸を作ること
自分の生き方、感じ方を意識化していく。自分の日常生活を送るための基本となる理想に近づくための思想、人生哲学を確立してゆく。こうすることは自分の考え方や生まれてくる作品にブレが少なく、一貫性が出てくるため複数年単位で作品を見るときにストーリー性が出てくる。

・死生観を持つこと
死生観とは肉体の時間軸と精神性の時間軸とをどう解釈するかということの様に思う

最近、議論をしていて感じたことはそれぞれの意見、思想の相違の背景には根本に死生観というものが関係し、影響をあたえてる様に思った。
死生観というものはその考え方が人生の中で構築されていく過程で宗教観や民族意識、時代性、地域性、家族 、戦争や自然災害などの大きな経験、環境(都会と田舎)など様々な要因が作り出すものです。
人はそれぞれの人生の中で色々な要因を整理し、消化し無意識に日常を過ごしている。
ですが、自分を表現する行為を選択した人はこれらと向き合い意識化しなければなりません。自分を表現すると言うことは生を表現することと等しいのです。それには生をどう表現するか?という生の定義が必要になってきます。
自分はどこから生まれ、どう生き、どう死ぬまで歩んでいくのか?そこで自分は自分として何をするべきなのかという自問自答を繰り返します。

もの凄く哲学的になりましたが、答えは出なくてもいいと思います。偉大な宗教者も
答えを限定してません。
重要なのは自分の存在とこの現実の世界の存在を受け止めて、自分の生に対して責任を持つということです。言葉を換えると自分の生に意味を持たせるということ。


日常の蓄積が個性であり、個の人間の価値なのです。 これが芸術という言葉で私たちに感動を与えてくれるものなのです。