天地眼をもつ言霊 2011年
近年制作の傾向として過去から日本や世界で使われてきた形や文様といったものに
込められた意味や概念を自分の作品に意識的に組み込んでゆく試みをしています。
シンメトリーに配される人物の両眼は「日月眼」といい、左右異なる方向を睨んでいる。
歌舞伎でいう「天地眼」とは呪力のこもる両の眼に超越的な力が込められている。
この対比する形というのは日と月の概念あらわしていて、それはイコールでバランスを
表す。そのバランスが意味することはこの宇宙であり、あらゆる生命が営み、均衡を保つ
世界である。
この日月眼は魔をはらい、宇宙的な生命力の循環を表す。
人物面の裏側には蝶々の形になっている。蝶々は神からの言葉を伝える役割があり、情報
をもたらし、神様のお使いといわれる。
そして舌を出す「アッカンベー」というのは世界各地でみられる魔を降ろす根源的な
表情であるということ。胎内から出る舌には言霊の力が乗り移るということ。
蝶々の体には眼の文様が全体に配され、これは眼の持つ呪力と蝶々が世界中を回り、空
から幅広い視野で見渡すように、社会を見渡し、未来を見通す力を表す。
無意識に目にしていた一つ一つの形に意味があり、その意味や文化の中に私たちの生活
があるという面白さを再認識すると美術全般(視覚情報)を見る上でとても興味深いものに
なるのではないかなと思っています。
八男インフィニティ-
数字の形(デザイン)が内包する意味合いを作品化したものです。
漢数字(八)であれば山形の末広がりといわれるように縁起の良い数字として
認識されています。
数字の(8)であれば循環や無限、永遠性を図像から自然と想像します。
人形に作られたのは擬人化した数字の形を表現しています。
着彩された紋様は家紋、神紋のデザイン、またそれに変化をくわえたものです。
紋様を描き込む行為は基本として意識情報を記載しているという
認識のもとに制作しています。
水にも記憶やデータを保持するといわれてますし、
水晶や骨にも記憶データがあるといわれます。
この情報メディアのカギになるパスワードは鑑賞者のそれぞれが
所有してるんでしょうね。
その方の視点に合わせた情報が相互間で発信されるし吸収もされるのだと思います。
キスのシンメトリー 2009年
頭合わせで逆方向に配された中心部分の二つの顔は陰と陽を表し、万物に共通する
バランスを表す。この中心部分から対称に飛び出した形は乳房のようであり、先端部分
はキスをする顔になっている。キスに込められた意味は共感と受容です。乳房は次世
代に与えるための栄養、エネルギーであり愛情である。この曼陀羅の様な形はお互い
を許容し、キスによって繋がる事によって陰陽のエネルギーが循環する様を表現してい
る。
天地眼をもつ言霊 2011年
近年制作の傾向として過去から日本や世界で使われてきた形や文様といったものに
込められた意味や概念を自分の作品に意識的に組み込んでゆく試みをしています。
シンメトリーに配される人物の両眼は「日月眼」といい、左右異なる方向を睨んでいる。
歌舞伎でいう「天地眼」とは呪力のこもる両の眼に超越的な力が込められている。
この対比する形というのは日と月の概念あらわしていて、それはイコールでバランスを
表す。そのバランスが意味することはこの宇宙であり、あらゆる生命が営み、均衡を保つ
世界である。
この日月眼は魔をはらい、宇宙的な生命力の循環を表す。
人物面の裏側には蝶々の形になっている。蝶々は神からの言葉を伝える役割があり、情報
をもたらし、神様のお使いといわれる。
そして舌を出す「アッカンベー」というのは世界各地でみられる魔を降ろす根源的な 表情であるということ。
胎内から出る舌には言霊の力が乗り移るということ。
蝶々の体には眼の文様が全体に配され、これは眼の持つ呪力と蝶々が世界中を回り、 空から幅広い視野で見渡すように、社会を見渡し、未来を見通す力を表す。
無意識に目にしていた一つ一つの形に意味があり、その意味や文化の中に私たちの生活
があるという面白さを再認識すると美術全般(視覚情報)を見る上でとても興味深いものに
なるのではないかなと思っています。
おっぱいサークル 2009年 900x900x60mm コンパネ、アクリルペイント
おっぱいという形は古代から多産の象徴として
デザイン化されてきました。社会の繁栄の象徴でした。
そして女性性の象徴としては和合や平和のイメージを同時に内包します。
おっぱいの形と円形配置の構成。円形は連続性や和、バランス、安定を想像させます。
こういったイメージを図像化したものです。
●雷母の桴 2010年
雷というのは雨を降らせて大地を潤すという事から五穀豊穣という概念を有する。
そして母という存在は次世代を育てる愛情をもった存在といった概念であるので大地を耕し、実りをもたらすという五穀豊穣と共通している。雷と母は同じような意味を持ち、同系統の両概念を組み合わせた言葉は豊穣を強調する表現となる。
桴(ばち)は雷神が持つ太鼓をたたく道具で雷鳴を轟かせ魔を祓い、雨をもたらす。雷神を象徴する大切なアイテムとなる。
うねる雷母の体は龍の様であり、龍というのもまた水脈、エネルギーを表し、人々に富や権力をもたらしてくれる意味をもつ。
福岡の人には馴染み深い太宰府天満宮の菅原道真公は神様としても色々な顔を持っています。
人間である道真公が神として祀られ天満宮信仰となったのも本は怨霊信仰というものが始まりでした。道真公を太宰府に左遷し、権力の中枢から追い出した後、藤原家に起こる災難、特に雷が屋敷に落ちた事は道真を祟り神として祀る大きな動機になったようです。
雷を落としたとして畏れられた道真公は後に雷と雨が大地を育むとして五穀豊穣の神となります。その後、私たちが知っている学問、受験の神として祀られるようになったのです。
●思いの生まれる場所 2011年
思いとはどこからやってくるのか?自分を育てた環境なのか?家族の歴史なのか?
食べ物なのか?すべてなのでしょうが、私自身がなぜこの場所に存在し、生を受け、生きていられるのか?必然なのか?偶然なのか?自分という存在が成立しているのは全ての相互作用なのでしょうが、その相互作用はどこまでが眼に見える力でどこまでが眼に見えない力が及んでいるのか?
私たちはそれを知るにも周りが教えてくれるわけではありませんし、自分を見つめるしかないのです。その自分というものが、まっさらでむき身の様な無垢な自分ではなく、色々な過去や伝統や価値観をまとった状態で向き合うのです。まさに鳳凰をまとった人の様に。
日本では全てにおいて対立する力がバランスを取りながら生を営むといった思想を象徴的な事物に置き換えて認識してきました。
日本文化の象徴的な形態の一つとして鳳凰と龍があります。
鳳凰と龍の関係性は、太陽と大地を象徴し、火と水、太陽と月、天空から俯瞰して物事を見通す力である政治力と大地を潤す力は五穀豊穣をもたらす力というようにそれぞれの形に対して色々な共通する概念をあてはめている。鳳凰と龍の概念の様に両方の力が存在するからこそ
エネルギーの循環が生まれ、安定した世界が生まれるのでしょう。
人の異種混合した者が自己の内面を覗き込もうとする姿は実はその先にある外界の異次元の世界を見ている。宇宙を超越する日月眼と第三の眼である真理眼をもってして。
人型の空洞部分に描かれている雲は八雲といい出雲大社社殿の天井に描かれているものです。そして「尋」という文字もあります。
尋という感じは左と右という漢字が合わさって生まれたもので、左のエの部分は密教の道具でもあるのですが神様を呼び出すための鈴の形で、右の口は祝詞が入っている箱であり、左手に鈴を持ち鳴らし、右手に祝詞の箱をもち、神に唱える。という意味だそうだ。神に尋ねるとい
うことがこの漢字に込められた意味なのです。
日本人が自己を見つめるには八百万の神に対しての「尋」という畏敬の念が必要なのではないだろうか。
内面を見つめるという行為はもう一つの世界に波動を合わせるという事の様に思う。
そして鳳凰の羽根は炎となり、炎は不動明王のように魔を焼き尽くす力を持つ。
人はそれぞれの思いのルーツがある。それは誰もが大切にしなければならない。
つるかめめしべ 2014年
日本では昔から長寿の祝事の場であったり、縁起の良い象徴として使われてきた鶴と亀いう形と概念がある。
これらを一つに組み合わせた。
同系統のイメージとしての女性と花を異種混合(ハイブリット)した。めしべとは女性を表していて生命誕生の源なのです。
彼女たちはこれに加えて日本の伝統的なスタイルである「見ざる」「聞かざる」「言わざる」のポーズを表現している。
沢山の日本らしい形、物語を一つにまとめた形です。これぞ「大和ナデシコ」というかたちではないだろうか。
なんていうまとめでもいいかもしれませんが、実は「つるとかめ」をヘブライがに訳すと
「お守りの形をした」となるそうです。古代中国で亀甲獣骨文字で知られてますが亀甲に文字を刻み焼いて占ういう儀式ですが、古代から亀は占いに使われるくらい神聖で神秘的な存在であったようです。古代からの人の移動それと伴って文化、風習、言葉も日本にもたらされています。鶴と亀という言葉の背景を改めて考えると異文化の血が入ってそうですね。
僕はまず、鶴と亀という言葉がヘブライ系の移民にもたらされ、それが日本で文化として根付く過程で日本語の音と似た動物を当てはめていったというのが自然な流れなのではないかと思います。鶴と亀とはビジュアルよりも言葉の持つ音の方が大切で魔除けの意味があるのかもしれませんね。
酉の呪縛2014
死の予兆 酉の呪縛
自分の創作の意味を考えていた時期の作品となります。
2000年以降は家族を中心に生活を営む環境となります。
自分の存在意義であったり、家族のルーツを調べる中で
祖先が死んだ年の干支によって人数のバラツキがあり、
なぜだか?酉年に沢山の人が亡くなっていたという事実が
データとしてあらわれます。
出てきた事実に何かの規則性みたいなものを感じ、
どういった関係性でこのような事が起こったかの
疑問を整理しその理由を探るというように一つの課題に向き合っていた時期の作品。
火水女男女 2014年
形態としては両方の性の象徴的な男根と乳房の形態を併せ持った人がシンメトリーに
配置されている。これらは絡み合って対峙していて陰陽を表す。
エネルギーの循環を意識してその意味合いに呼応する形としてラセンや雲、8の字、
花、渦を積極的に描きこんだ。
ラセンはDNA構造であり、生命の設計図であり、雲は水の性質を変え循環する様であ
り、8は無限に循環する形であり、花は命を色で表現する。渦は世界共通に昔から使わ
れてきた文様であり、エネルギーの流れであり、繁栄を表す。
八尋殿
ヤヒロドノとは何か?
一部を抜粋しまして掲載させていただきますが、この解説により私の人生において自分の姓の疑問も大部分が解決しました。
和良久( 前田比良聖さんという武道家の方)の解説です。
天津菅曾の活用により光が放射するといわれます。それは「降魔の利剱」といわれ悪魔を降伏させる力をもっています。そして前後上下左右に右旋左旋して動き、その全容たるや「八尋殿(イヤヒロドノ)」を描くといわれます。八尋殿とは、大神様のアマノヌホコの活動により、点を中心に「遠心力と求心力」が同時におこって出来た螺旋の世界のことです。それは内まわり、外まわりして、その旋回して交わる形状がまるで蓮の花のように美しさを保ちつつ拡大し、また凝縮する世界を表現しますので極楽浄土、または「高天原~タカアマハラ」とも言われています。つまり、均衡なる螺旋波動の発生によって、人も場も天国のように清められ、よい気に満たされるのです。
旋回をさせながら動く天津菅曾の動きはまるで竜神のようであり、竜神はすなわち剱であると古来より言われていますのも、このように、螺旋運動して動くからでは無いでしょうか。剱は「螺旋しながら光り輝くもの」という意味をもっています。
天津菅曾学は「魂と体の結合、離散の諸現象を、自在に我々の力の上に応用して行こうという学術」といわれています。剱の波は両刃といわれますが、実際には左右の働きは異なります。棟が「霊」で、刃が「体」となります。霊と体が融合した形が剱なのです。
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