八尋晋の木彫作品 Shin Yahiro Works
1995年から2000年ぐらいの間に作られた作品たち
主な素材はベニヤ板、合板といわれる建築材パネルです。
それを切り取り数枚を重ねて木工用ボンドで圧着させながら塊を作り、ノミで荒彫り成形していきます。
着彩はアクリルペイント、ウレタン二スです。
このたび、作品集を作りました。
サイズはA5、25ページです。
1996年~2000年までの木彫作品が掲載されています。
ご購入希望の方は 1,000円(送料込み)で販売します。
作品集希望の旨をメールにてお知らせください。
複数冊、ご希望の方はお知らせください。
(2冊目以上は一部、500円)
メールを確認次第、発送させて頂きます。
送付先住所、氏名を併せてご記入ください。
支払い方法は現時点では口座振り込みのみですが。
その他の方法も利用できるように準備していきます。
よろしくお願いします。
お問い合わせ先 yahiroshin@csf.ne.jp
作品見るためのポイント
一つの言葉には表面的な意味だけではなく、その言葉を構成する由来や文化など沢山の要素が含まれています。 形を読み解くための言葉に内包する様々なイメージ、象徴的な概念をを身の回りの形や姿にあてはめてきました。
女性=乳房 母(胎内)、万物を生み出す、宇宙、太陽、栄養、母性、愛情、五穀豊穣、鳳凰(天の火)、天照大神、勾玉に見られる紐を通す穴(自分と祖先を繋いでゆく穴)、出雲型(丸みが強い)、平和、花、植物、受動的、守備意識
男性=男根 父性、月、死生観(満ち欠けによる)、精神性、子孫繁栄、龍(地の水)、月読命、幸運のお守り(ローマ時代)、権力、戦争、銃器、能動的、攻撃性
*造形心理学においてテーマを与えず自由に無意識に男女にそれぞれ粘土造形をさせると 男性はおわん形のものが多く、女性は立ち上がった棒状のものが多いということ。それぞれの性によって乳房や男根の造形を本能的に求めるということか?この一例も信憑性は分かりませんが参考にしています。
ひまわり畑 1996年 600x600x1850mm
ひまわり畑は地中海沿岸の国々を移動する際に見た光景を作品化したもの。
私の作家としての出発点のなるものであり、自分自身の覚悟を投影していたと思います。
生命力や過去から未来への時間軸を男根に象徴化し、制作しました。
人のなる実 1996年 1000x700x2450mm
人の実が大地に落ち、芽生えそれがまた、大樹となるというような循環と再生をテーマとした作品です。
私の作品制作においてのテーマとなる 循環 均衡(バランス) 陰陽 のテーマ内の作品となります。
私の作品が種となり私の思いが色々な所に伝わり育っていけばいいなという願望と重ねているメッセージです。
瞬きをする間に同居した人たち 1996年 2500x2000x1500mm
自分自身においても一つの事象にしても常に視点を変えることによっても解釈も異なりますし
自分自身を考えても感情、思考、目的などが目まぐるしく移り変わるし、同居してます。
これはある特定の事物にとっての特別な出来事ではなくすべてのも事物がそうなのです。
自分自身も自然現象も常に変わらない事物はないのです。人は明確で揺らがない価値観に
寄り添いたいという気持ちは誰もが願うことです。しかしながらそのようなものはないというように
覚悟を持ちながらこの世界を認識していかないといけないと思います。
排泄ダンス~環境にやさしい行進~ 1997年 1600x600x1500mm
環境問題が取り立たされた時期でそれと同時に子供たちの精神の乱れが顕著になってきた 時期だったように思う。
物理的なゴミの問題はもちろん大切で不法投棄の厳罰化やゴミの減量化は急がないといけない。しかしこれは目に見える問題で対策も比較的取りやすいと思う。 ことが深刻なのは人間の精神の乱れ、モラルの崩壊の方でしょう。目に見えない形で社会が病んできている。これは大人の社会が出してきた排泄物によって起こったことなのだと思う。言動、行動という無神経で非生産的な排泄物についての警告なのです。
饒舌な人は舌を鍛える 1997年 1200x500x2000mm
政治家の汚職に関しての報道が連日続き辟易してしまう。非を認めるどころか 饒舌にはなし、罪も問われず、時間だけが過ぎていき、次の事件が起こると皆が忘れてしまう。権力者や公的組織の無責任な行動が連日繰り返し報道され社会に悪影響を伝染してきた。この形態は舌で自分の体を支えている姿をしている。しかし、強靭な舌とは裏腹に身体から腐敗がはじまっている。人格、心を鍛錬するべき人が舌を鍛えることで饒舌に自分の意志を伝えているという状態が90年代、現在の日本の社会に見えてならない。皮肉を込めて作った。
ウェーブマンとバードマンの決闘 ―親愛なるバーディーに捧ぐ― ~心に勇気、股間に鳥を飼え~ 1997年 2850x1800x1600mm
人生というものを大海に例え、それを泳ぐことを生に例えて作ったもの。
社会を覆う歪んだ常識や既成概念をウェーブマンとしてそういったものと問題意識を持って戦うものをバードマンとしています。
バードマンとは「バーディー」という社会に適応することが苦手な少年が大好きな鳥と生きる映画の主人公と重なってもいます。そして形態としては股間からの鳥は生命力や権力構造と戦う意思や攻撃性という意味付け、ドリフ世代としての影響も表している。
今、私と同じ世代の人は当然のようにアニメや笑いのエンターテイメントのテレビという
サブカルチャーで育ってきている。当然のように趣味趣向がそれらに左右されて影響を受けているということは自然の流れなのです。
頭が大地につくくらい深呼吸しよう 1997年 1000x600x600mm
全てのものことがものすごいスピードで過ぎ去ってゆく。昨日したことも忘れてしまう。 学校ではいじめでの自殺、会社でも解雇やいじめ。生きる意味というのを少し立ち止まって考える勇気が必要な社会になってきたのではないか。そういった急ぎ過ぎるストレス社会に対してのメッセージ。
形態としては異種混合で鳥と人間を組み合わせたもの。動物と人間の組み合わせは自然との共生する意識を表す。廃棄物利用したゴザは海苔巻状に巻かれ輪切りにされ立体の表面を覆う。その形状は永遠性を表し、リサイクルすることで環境問題も同時に意味する。
おっぱいで歩く月 ~乳頭エナジー~ 1997年 2400x600x600mm
おっぱいが長く伸びて足になるというデフォルメという手法が表現されたもの。月というものに東洋の精神性を強く感じる。
東洋アジアにおいては太陽と月は対極にある力として世界観を表す象徴として色々な概念をあてはめられています。
月とは父性や智を表し、月の満ち欠けの現象から生命と死の再生や循環を表します。これは日本人として精神性を磨き未来に歩いていこうというメッセージも含まれている。
おしりわにバキューンとチュー ―愛の構図 ガン君とハナちゃんの甘い瞬間― 1997年 2000x600x1800mm
男女のハイブリット(異種混合)カップルをそれぞれが持っているイメージ特性を象徴的に作ったもの。ワニと人間の組み合わせも自然との共生を意味する。
日常ありふれた行為を通して見えてくる逆行する二つのベクトル、能動と受動、凹凸や陰と陽、+と-の様に二つの対峙する力を目に見えるわかりやすい象徴的な形で表現している。 人を含めた宇宙全体が相対的な活動をするため、対峙する力であっても全体として考えればお互いが均衡を保とうとするシステムが働いているのがわかる。
自分が存在する以上、関係性を身につけているのです。自分の位置を確認し、宇宙空間、自然界、社会の中でバランスをとる意識を持ちたい。
鳥の居る場所~チャンネルを合わせろ~ 2000年 2200x800x2400mm
日常において全ての生命は情報を自ら選択して生きる目的のために判断し日々を過ごす。情報が氾濫する現代で自分のアンテナを調整し正しい周波数にチャンネルを合わせる必要がある。
オランダの生物学者が研究する、同世代、次世代間の生態間の情報伝達の構造に関する研究にでてきた鳥のはなしと戦後、意図的に情報を操作されて育ってきた僕らの世代が考えなければならない神道や天皇制の意味を考え、それが同時に形になった。
日本の神道とは原始宗教のような自然崇拝であり、教義も戒律もない。八百万の神に感謝するもの。
戦後、情報統制により日本人として生きるために必要な情報を歪曲されたり制限されたりして育った僕らの世代はどうこの事実を認識し、歴史や精神性をとりもどすことができるのか。
妊婦棺桶 2000年 1000x2700x1100mm
死生観について考えたもの。妊婦はこの世への誕生を意味し棺桶はあの世への旅立ちを意味している。どちらも新たなる世界への出発点となる。
古代の原始宗教や沖縄にある信仰にも見て取れるらしいがお墓をこんもり盛り上げて妊婦のお腹に見立てるのはこういった死に対しての考え方から来るものらしい。悲しむものというより次のステージへの出発として祝うべきものだということです。
また、このような似た形式で権力者の墓が世界中で発見され、輪廻や復活といった信仰により、埋葬の仕方も胎内と同じように頭と足が上下逆になるように埋葬された王もあった。死というものに物理的な面と精神的な面と両面を含んでいる。見えないものと見えるものの関係。見えないけど生き続ける、あり続けるもの、肉体が失われても後世にとって大切な知恵や精神性は未来へ歩き続ける事を頭に足をつける造形によって表現している。
お乳あめ 2003年 800x800x2350mm
宮崎の鵜戸神宮で見たお乳岩とお乳飴に感銘を受け同タイトルで制作したもの。おっぱいとは母性の象徴なのです。赤ちゃんは授乳のとき母の愛情や栄養を与えてもらい育ってゆくのです。この母子の構図というのは社会においての次世代との関係と同じなのです。
物質的にも精神的にも未来に繋ぐ責任と覚悟を認識しなければいけない。
永遠のつながりのなかにある対立と共生 2003年 1000x800x1700mm
人類が誕生してから現代まで対立がなかったことなどなかったでしょう。だからと言って 対立が起こらないように一人で暮らしたかというと全ての人が共生しなければ、今人類は 殆ど生きていけないでしょう。永遠に続く事柄であり、相互努力でバランスを取らなければいけないのだがそれをいつまで続けられるのだろうか?
展示、レクチャー依頼、等は直接、お気軽にお問い合わせください。
ご相談頂ければ、出来る限り対応させていただきます。
作品の貸し出しも行っています。ギャラリー、美術館以外でありましても、病院、事務所の待合室やレクリエーションルーム、学校等
に展示することもできます。
併せて作品に関してのレクチャーやワークショップも可能ですのでお問い合わせください。
八男インフィニティ-
数字の形(デザイン)が内包する意味合いを作品化したものです。
漢数字(八)であれば山形の末広がりといわれるように縁起の良い数字として
認識されています。
数字の(8)であれば循環や無限、永遠性を図像から自然と想像します。
人形に作られたのは擬人化した数字の形を表現しています。
着彩された紋様は家紋、神紋のデザイン、またそれに変化をくわえたものです。
紋様を描き込む行為は基本として意識情報を記載しているという
認識のもとに制作しています。
水にも記憶やデータを保持するといわれてますし、
水晶や骨にも記憶データがあるといわれます。
この情報メディアのカギになるパスワードは鑑賞者のそれぞれが
所有してるんでしょうね。
その方の視点に合わせた情報が相互間で発信されるし吸収もされるのだと思います。
キスのシンメトリー 2009年
頭合わせで逆方向に配された中心部分の二つの顔は陰と陽を表し、万物に共通する
バランスを表す。この中心部分から対称に飛び出した形は乳房のようであり、先端部分
はキスをする顔になっている。キスに込められた意味は共感と受容です。乳房は次世
代に与えるための栄養、エネルギーであり愛情である。この曼陀羅の様な形はお互い
を許容し、キスによって繋がる事によって陰陽のエネルギーが循環する様を表現してい
る。
天地眼をもつ言霊 2011年
近年制作の傾向として過去から日本や世界で使われてきた形や文様といったものに
込められた意味や概念を自分の作品に意識的に組み込んでゆく試みをしています。
シンメトリーに配される人物の両眼は「日月眼」といい、左右異なる方向を睨んでいる。
歌舞伎でいう「天地眼」とは呪力のこもる両の眼に超越的な力が込められている。
この対比する形というのは日と月の概念あらわしていて、それはイコールでバランスを
表す。そのバランスが意味することはこの宇宙であり、あらゆる生命が営み、均衡を保つ
世界である。
この日月眼は魔をはらい、宇宙的な生命力の循環を表す。
人物面の裏側には蝶々の形になっている。蝶々は神からの言葉を伝える役割があり、情報
をもたらし、神様のお使いといわれる。
そして舌を出す「アッカンベー」というのは世界各地でみられる魔を降ろす根源的な 表情であるということ。
胎内から出る舌には言霊の力が乗り移るということ。
蝶々の体には眼の文様が全体に配され、これは眼の持つ呪力と蝶々が世界中を回り、 空から幅広い視野で見渡すように、社会を見渡し、未来を見通す力を表す。
無意識に目にしていた一つ一つの形に意味があり、その意味や文化の中に私たちの生活
があるという面白さを再認識すると美術全般(視覚情報)を見る上でとても興味深いものに
なるのではないかなと思っています。
おっぱいサークル 2009年 900x900x60mm コンパネ、アクリルペイント
おっぱいという形は古代から多産の象徴として
デザイン化されてきました。社会の繁栄の象徴でした。
そして女性性の象徴としては和合や平和のイメージを同時に内包します。
おっぱいの形と円形配置の構成。円形は連続性や和、バランス、安定を想像させます。
こういったイメージを図像化したものです。
●雷母の桴 2010年
雷というのは雨を降らせて大地を潤すという事から五穀豊穣という概念を有する。
そして母という存在は次世代を育てる愛情をもった存在といった概念であるので大地を耕し、実りをもたらすという五穀豊穣と共通している。雷と母は同じような意味を持ち、同系統の両概念を組み合わせた言葉は豊穣を強調する表現となる。
桴(ばち)は雷神が持つ太鼓をたたく道具で雷鳴を轟かせ魔を祓い、雨をもたらす。雷神を象徴する大切なアイテムとなる。
うねる雷母の体は龍の様であり、龍というのもまた水脈、エネルギーを表し、人々に富や権力をもたらしてくれる意味をもつ。
福岡の人には馴染み深い太宰府天満宮の菅原道真公は神様としても色々な顔を持っています。
人間である道真公が神として祀られ天満宮信仰となったのも本は怨霊信仰というものが始まりでした。道真公を太宰府に左遷し、権力の中枢から追い出した後、藤原家に起こる災難、特に雷が屋敷に落ちた事は道真を祟り神として祀る大きな動機になったようです。
雷を落としたとして畏れられた道真公は後に雷と雨が大地を育むとして五穀豊穣の神となります。その後、私たちが知っている学問、受験の神として祀られるようになったのです。
●思いの生まれる場所 2011年
思いとはどこからやってくるのか?自分を育てた環境なのか?家族の歴史なのか?
食べ物なのか?すべてなのでしょうが、私自身がなぜこの場所に存在し、生を受け、生きていられるのか?必然なのか?偶然なのか?自分という存在が成立しているのは全ての相互作用なのでしょうが、その相互作用はどこまでが眼に見える力でどこまでが眼に見えない力が及んでいるのか?
私たちはそれを知るにも周りが教えてくれるわけではありませんし、自分を見つめるしかないのです。その自分というものが、まっさらでむき身の様な無垢な自分ではなく、色々な過去や伝統や価値観をまとった状態で向き合うのです。まさに鳳凰をまとった人の様に。
日本では全てにおいて対立する力がバランスを取りながら生を営むといった思想を象徴的な事物に置き換えて認識してきました。
日本文化の象徴的な形態の一つとして鳳凰と龍があります。
鳳凰と龍の関係性は、太陽と大地を象徴し、火と水、太陽と月、天空から俯瞰して物事を見通す力である政治力と大地を潤す力は五穀豊穣をもたらす力というようにそれぞれの形に対して色々な共通する概念をあてはめている。鳳凰と龍の概念の様に両方の力が存在するからこそ
エネルギーの循環が生まれ、安定した世界が生まれるのでしょう。
人の異種混合した者が自己の内面を覗き込もうとする姿は実はその先にある外界の異次元の世界を見ている。宇宙を超越する日月眼と第三の眼である真理眼をもってして。
人型の空洞部分に描かれている雲は八雲といい出雲大社社殿の天井に描かれているものです。そして「尋」という文字もあります。
尋という感じは左と右という漢字が合わさって生まれたもので、左のエの部分は密教の道具でもあるのですが神様を呼び出すための鈴の形で、右の口は祝詞が入っている箱であり、左手に鈴を持ち鳴らし、右手に祝詞の箱をもち、神に唱える。という意味だそうだ。神に尋ねるとい
うことがこの漢字に込められた意味なのです。
日本人が自己を見つめるには八百万の神に対しての「尋」という畏敬の念が必要なのではないだろうか。
内面を見つめるという行為はもう一つの世界に波動を合わせるという事の様に思う。
そして鳳凰の羽根は炎となり、炎は不動明王のように魔を焼き尽くす力を持つ。
人はそれぞれの思いのルーツがある。それは誰もが大切にしなければならない。
つるかめめしべ 2014年
日本では昔から長寿の祝事の場であったり、縁起の良い象徴として使われてきた鶴と亀いう形と概念がある。
これらを一つに組み合わせた。
同系統のイメージとしての女性と花を異種混合(ハイブリット)した。めしべとは女性を表していて生命誕生の源なのです。
彼女たちはこれに加えて日本の伝統的なスタイルである「見ざる」「聞かざる」「言わざる」のポーズを表現している。
沢山の日本らしい形、物語を一つにまとめた形です。これぞ「大和ナデシコ」というかたちではないだろうか。
なんていうまとめでもいいかもしれませんが、実は「つるとかめ」をヘブライがに訳すと
「お守りの形をした」となるそうです。古代中国で亀甲獣骨文字で知られてますが亀甲に文字を刻み焼いて占ういう儀式ですが、古代から亀は占いに使われるくらい神聖で神秘的な存在であったようです。古代からの人の移動それと伴って文化、風習、言葉も日本にもたらされています。鶴と亀という言葉の背景を改めて考えると異文化の血が入ってそうですね。
僕はまず、鶴と亀という言葉がヘブライ系の移民にもたらされ、それが日本で文化として根付く過程で日本語の音と似た動物を当てはめていったというのが自然な流れなのではないかと思います。鶴と亀とはビジュアルよりも言葉の持つ音の方が大切で魔除けの意味があるのかもしれませんね。
酉の呪縛2014
死の予兆 酉の呪縛
自分の創作の意味を考えていた時期の作品となります。
2000年以降は家族を中心に生活を営む環境となります。
自分の存在意義であったり、家族のルーツを調べる中で
祖先が死んだ年の干支によって人数のバラツキがあり、
なぜだか?酉年に沢山の人が亡くなっていたという事実が
データとしてあらわれます。
出てきた事実に何かの規則性みたいなものを感じ、
どういった関係性でこのような事が起こったかの
疑問を整理しその理由を探るというように一つの課題に向き合っていた時期の作品。
火水女男女 2014年
形態としては両方の性の象徴的な男根と乳房の形態を併せ持った人がシンメトリーに
配置されている。これらは絡み合って対峙していて陰陽を表す。
エネルギーの循環を意識してその意味合いに呼応する形としてラセンや雲、8の字、
花、渦を積極的に描きこんだ。
ラセンはDNA構造であり、生命の設計図であり、雲は水の性質を変え循環する様であ
り、8は無限に循環する形であり、花は命を色で表現する。渦は世界共通に昔から使わ
れてきた文様であり、エネルギーの流れであり、繁栄を表す。
八尋殿
ヤヒロドノとは何か?
一部を抜粋しまして掲載させていただきますが、この解説により私の人生において自分の姓の疑問も大部分が解決しました。
和良久( 前田比良聖さんという武道家の方)の解説です。
天津菅曾の活用により光が放射するといわれます。それは「降魔の利剱」といわれ悪魔を降伏させる力をもっています。そして前後上下左右に右旋左旋して動き、その全容たるや「八尋殿(イヤヒロドノ)」を描くといわれます。八尋殿とは、大神様のアマノヌホコの活動により、点を中心に「遠心力と求心力」が同時におこって出来た螺旋の世界のことです。それは内まわり、外まわりして、その旋回して交わる形状がまるで蓮の花のように美しさを保ちつつ拡大し、また凝縮する世界を表現しますので極楽浄土、または「高天原~タカアマハラ」とも言われています。つまり、均衡なる螺旋波動の発生によって、人も場も天国のように清められ、よい気に満たされるのです。
旋回をさせながら動く天津菅曾の動きはまるで竜神のようであり、竜神はすなわち剱であると古来より言われていますのも、このように、螺旋運動して動くからでは無いでしょうか。剱は「螺旋しながら光り輝くもの」という意味をもっています。
天津菅曾学は「魂と体の結合、離散の諸現象を、自在に我々の力の上に応用して行こうという学術」といわれています。剱の波は両刃といわれますが、実際には左右の働きは異なります。棟が「霊」で、刃が「体」となります。霊と体が融合した形が剱なのです。
Jimdoショップ 〒123-4567 東京都港区神道123